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デリーの通りの景色

※6週間のインド滞在日記の最終日です(6月12日)。

ホテルの窓から空を眺めた。
午後2時過ぎに太陽を直視できるのは空気が汚れているから。スマホでデリーの天気を見ると、神戸のVisibility(視程)は14.5mに対し、デリーは1.9mとのこと。どちらも晴れ。この数字がデリーの大気汚染を物語っている。

汚染されているのは空気ばかりではない。ガタガタの歩道を歩いていると、車に踏みつぶされた鳥やネズミの死骸にギョっとしたり、足元には汚水、上から急に液体が落ちてきたり(建物の2階から何か落とすのだと思う)、オートリキシャ―から何かが投げ捨てられてきて、危うくぶつかりそうになってヒヤリとしたりもする。ここ、ニューデリーの駅付近のパハールガンジと呼ばれるエリアを歩く時には、上も下も横も、人も動物も牛の糞にも、細心の注意を払わなければならない。

それでも、政府が国を挙げて環境問題に取り組んでいるおかげか、大通りには無料の公衆トイレが設置されるようになり、町中の悪臭はずいぶん減ったように思う。そこら中でトイレをするひとは格段に減ったようだ(私が知っているデリーはごく一部なので、それ以外の場所は何とも言えません)。

様々な人たちが住む大都会デリー。
貧困層ではない人たちにとっては、住み心地の良い場所ととらえられているようで、デリーに住んでいるということに対してステータスを感じている人もいるよう。タクシーのドライバーや、夜行バスで隣に座ったビジネスマン、彼らはデリー人であることに対して誇らしげだった。
そういう人たちは、働く術もなく、ただ物乞いをする以外に生きる道を見出せない人のことを「Street Dog」と呼んだ。それにどのような感情があるのか、軽はずみに判断したくは無いのだが、彼らを政府は救わない、彼らはお金を稼ぐ術を知らない、誰にもこの状況は替えられないのだと言った。野良犬や虫けらを見るのと同じような目で、彼らは物乞いの人たちを見ているように感じた。

これもまたインド。
カースト制度から自由になり、ITなど新しい職種で人生に希望を見出した人たちがいる一方、そういった恩恵を何一つ受けられずに、「Street Dog」でいる他に道がない人もいる。こういう人たちが、生きる希望を見出せるまで、この国はあと何年かかるのだろう。何年かかっても、いつか、みんながシャンティになれる日がくればと、祈らずにはいられない。

デリーに到着後、いつも泊まる快適なホテルに荷物を預けて、私はいつも行くショッピングモールへ行った。買い物をしたりランチをしたりして、教室のクッキングクラスで使うオーガニック食材が買えるスーパーに行ったりしながら、インド最後の時間を過ごした。
外は43℃、私はエアコンの効いた快適なホテルで過ごしている。

インドにいると、いろんなことを考える。
言葉を交わす人たちのこと、一生懸命働いている人たちのこと、物に恵まれている人たちのこと、苦しみの中にいる人たちのこと、そして、私自身の事。。。今そこに生きている様々な命について考える、インドは、そういう貴重な機会を与えてくれる場所だ。

今年もこの旅を叶えて下さった全ての人に感謝し、お礼申し上げます。
このブログを読んで、何かを感じて下さったら光栄です。
インドという素晴らしい国がもたらしてくれるたくさんの学びや気付き、喜びや幸せ、そのすべてに感謝して、今年も旅の記録を終了したいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。

Om S’anti.
Kazuyo Arati

※これはインドのダラムサラに3週間滞在した、最終日の日記です。

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ダラムコットの朝日と夕日は素晴らしい。山々の奥には万年雪を頂く4000m級の山もある。ここから歩くと3日間ほどで往復できる

(6月11日の日記より)
今回二つ目の宿に入る時、宿が見つからない、違う場所に連れていかれる、チェックイン時に部屋が掃除されていない、Wifiや朝食のサービスの提供がされない、脅迫めいたメールを受け取る、など、散々な目にあったが、それ以上に素晴らしいことがたくさんあって、最終日の朝はとてもすがすがしかった。

朝、部屋の窓を全て開けて、鳥の鳴き声と山からのそよ風を感じながらヨガをした。呼吸法、瞑想、マントラの詠唱、全てが喜びに満ちていた。
宿の問題ですったもんだしていた時、少し離れた隣の宿にいた親切なイタリア人男性が、「いやな思いをしてそこに居続けるよりも、部屋を変えて気分を変えた方が良いよ」と助言してくれたが、私はそうしなかった。もし嫌な思いをした場所を、嫌な思いのまま出たら、その思いはずっと残ってしまうと思ったからだ。だから、その環境でシャンティ(平穏、満ち足りた状態)になることを目指した。
そして、その朝はとてもシャンティで、その部屋も、環境も、自分自身も全てに満足できていた。だから、いやな気持を残してここを去ることは無い。とても嬉しかった。

イタリア人男性(ご家族)のステイしていた宿のおかみさんがとても親切で、何かと私を気にかけて、部屋のオーナーの女性に私が困っていると話をしてくれたり、「うちに移ってきても良いよ」と言ってくれたり、外で会うと、「大丈夫か?何かあったらいつでも言っておいで」と気遣ってくれた。

今朝挨拶をすると、「きょう出発だね?」と言われたので、「はい、また来年来ます。今度は、きっとそちらに泊まります(^^)」と言うと、「いつでも電話しておいで」と笑顔で答えてくれた。彼女以外にも、ババジもマヒンダも、みんなが次回は良い部屋を見つけてあげるから自分に言いなさい、と言ってくれた。宿が見つからずに探し回っている時にも、何人かの人に助けられた。彼らの携帯で連絡先に電話してくれたり(つながらなかったが)、いろんなアドバイスをくれたり、人の暖かさをいつも感じていた。本当に、みんなが優しい。。。

きっと嫌なことは、普通の事やちょっと良いことを、すごく良いことに思わせてくれえるエッセンスかもしれない。健康と不健康もしかり、不健康を経験するからこそ、健康の喜びやありがたみを感じる。不健康が無いと、人は健康の価値を忘れてしまうから。だから、不健康にもちゃんと意味がある。

そんな風に考えると、人生無意味なことなど何もないと思える。
毎日が喜びや学びで満ちていて、その中で、シャンティな自分を感じる、あらゆる存在の中にシャンティを見出す。それが、幸せの鍵だと思った。

今晩夜行バスでデリーに向かう。ホテルに一泊してから夜のフライトで日本へ。
6週間前とはかなり違う自分になったような気がする(実際、肌は真っ黒(笑))。帰国の途もシャンティであり続けたい。


☆ババジによるチャクラヒーリング体験等の記事はこちら
☆神戸のアーラティー教室の月間ヨガスケジュールはこちら 和代は15日夜のフローヨガからクラスに復帰します。皆様どうぞお越し下さい(^^)。


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追記:忌まわしい宿の問題はこのカフェから始まったが、最終日に、普段は控えているラテを飲みに立ち寄ってみると、なんと「LOVE」とハートで書かれたラテアートが♡。一気にあったかい気持ちになって、全ての苦労やストレスが報われた気がした。(ちなみにコーヒーはカルダモンを入れるとカフェインが中和されるのでお勧めです♪)

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サウンドヨガのコースが終了しサティフィケートを頂いた(3週間のダラムサラ滞在を終えての振り返りです)

サドゥーのクリシュナ・ババジとの出会いは、今回の旅に大きなインパクトを与えた。
今までのどのヨーガ指導者とも違ったババジ、インドでヨーガを学ぼうと思った時、一般的なヨガの資格を取った先生、アシュラムのスワミジ、そしてババジのようなサドゥーから学ぶという様々な選択肢があるということを今回再認識した。スワミジとババジとの違い、それは、ババジのおっしゃるには、ババジは大抵、スワミジよりも多様な人生経験を積んでいるから(ちょっと茶目っ気のある感じで仰った)、テキストから学ぶこと以上のヨーガの学び方ができるのだと仰った。それはそうかもしれないと思った。実際私自身、アシュラムでヨーガを学んだあと、本当に深く広く、様々な「ヴェーダ」の価値観や考え、その生き方、アーユルヴェーダも含めて包括的な学びへと理解を深められたのは、アーユルヴェーダドクターであるグルジ(師匠)の元でグルクラを体験してからだったと思う。(グルクラとはインド古来の学び方で、師と弟子が寝起きを共にしながらヴェーダ聖典の教えを日々の生活を通して包括的に学ぶ学び方のことを言う)グルクラの間、グルジと本当にたくさんの話をして、ヨーガやアーユルヴェーダへの理解を何段階も深められたと思う。きっとババジからヨーガを学んでいたら、それに近いものがあったのかもしれないと思った。プライベート感、というのが与える影響は大きいと思う。ババジは数人の生徒に自分の時間の全てを与え、一緒に料理をしたり雑談をしたり、自分の全てを生徒に開放している。それはとても贅沢な、包括的な学びとなることだろう。もちろん、スワミジからヨーガを学ぶことも素晴らしい。スワミジからしか学べないこともあるだろうから。

元々ババジはスワミだったこともあったらしい。若いころはウッタラカシのシヴァナンダヨガアシュラムにおられて、なんと、シヴァナンダヨガを西洋に広められたヴィシュヌ・デヴァ―ナンダ師やヴェーダーンタ哲学の第一人者であられたスワミ・ダヤ―ナンダ・サラスワティ先生とも時間を共にしていらしたとか(アシュラムでは、定期的にサドゥーに食事をふるまったりするのです)。その後サドゥーからスワミジになられて、そして、今はまたサドゥー、クリシュナ・ババジとしての人生を歩んでおられる。

なんと、全てはつながっていた・・・。私の人生に影響を与えて下さる方々が、皆どこかでつながっている。全てが必然的に起こっているようにさえ思えた。


別れを告げる時、ババジは寂しそうだった。

「また来年来ます」と告げると、私の手に白い石を乗せて
「これを持っていきなさい」と仰った。

「クリシュナストーンですか?!」と驚いて尋ねると、それをヨーガの修練の時に、削った粉をサードアイにつけて行いなさい、と仰った。

それは自然から掘り起こしたそのままの原石のようだった。こういうものは簡単には手に入らない。数年前、グルジの元で厳しいサーダナを終えて帰国する際に、グルジが亡きグルジから授かったクリシュナストーンを形見分けして下さったことがあった。その時にもとても身に余るものを頂いた気がしたが、またここで同じ石を頂けるとは夢にも思わなかった。

ババジの名前はクリシュナ、ババジにとってクリシュナストーンは彼そのもの。ありがたくいただき、日本でもヨーガの修練を積み重ねると誓った。(続く)


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ババジのアシュラムにて、ヨガコースの生徒と共に。

☆ババジによるチャクラヒーリング体験等の記事はこちら
☆神戸のアーラティー教室の月間ヨガスケジュールはこちら

※和代は、ヒマラヤのダラムサラ(チベット仏教の聖地)を昨晩出発し、今朝首都デリーに到着しました。日本まであと少し!

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チベット人女性の正装は美しい           タイのお坊さん、黄昏る。。。

(611日の日記より)

今晩ダラムサラを出発する。3週間の滞在の中で、やろうとしていたプロジェクトワークはほとんどできなかった。それよりも、出会いやハプニングから学ぶことがとても多くて、自己を内観する時間がずっと続いた。そしてこの旅は、過去最高のスピリチュアルな学びの旅となった。

ダライ・ラマ法王のティーチングは胸に響くことがたくさんあって、ヨーガで学んで分かっていることでも、改めて別の角度から法王のお言葉で教えを頂くことによって気付くことが多々あった。これについては8月に始まる「究極のアーユルヴェーダ&ヨーガ講座」でも皆さんとシェアできると思う。最終日の後半で、チベット仏教を学ぶたくさんの生徒さんやタイのお坊さん、世界各国から集まった人たちと共に、マントラを唱えて瞑想をして、愛と思いやりの心を持って生きていくことを誓った時、何千人ものエネルギーが一つになる素晴らしい経験をした。これはその場にいないと分からない感覚だ。サットヴァでシャンティで、至福の時間だった。このティーチングは、宗教云々だけではなく、全ての人にとって、生きる上で大切なことを学ばせていただける機会だと思う。

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ダライ・ラマ寺院の講堂への道。ティーチングの当日ダライ・ラマ法王がここを通って入ってこられる。その両脇には御座が敷き詰められてたくさんの人が座る(前日は設営準備中の学生さんなどが集まっていた)。柵のすぐ内側の最前列は法王の握手やアイコンタクトが得られる可能性があるので、朝早くから争奪戦だ。

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法王が講義をされる部屋のすぐ外(二階)には、各国からのグループが国別に座る。正面のモニターのすぐ手前辺りがJAPANだった。そして、横の部屋の前にはたくさんのダクシナ(寄付)が積み上げられていて、当日料理されて参加者にふるまわれる。朝のチベットスタイルのミルクとパン、終わった後のベジミールが皆に配られた


毎年マッサージやヒーリングなどのセラピーをしてくれているマヒンダには、今回10回くらいトリートメントをしてもらった。その中で、私の多少慢性化している関節の痛みとチャクラの問題とのつながり、自分自身の過去の経験等を深く見つめなおすことができた。自分の選択の範疇に無いことでも、自分自身に起こっていることは全て自分のまいた種だとヨーガでは言う。自分は自分自身のたった一人の主(あるじ)だから、体も心もスピリットも、そのコンディションに責任を持つのは自分自身なのだ。その受け入れは、自然治癒力を高めることにもつながっていると思う。心と体が不調和なら治癒力は高まらないからだ。

マヒンダはいつも愛にあふれていて、トリートメントだけでなく、心身を健やかにして生きるための様々な話をしてくれる。そしてたっぷりの愛を与えてくれる。彼に出会って人生が変わった人が少なくないことは容易に想像できる。今年もたくさん癒して頂き、また日本で頑張る力を得た。素晴らしい師であり友であることを嬉しく思う。(続く)

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今年はティーチングのテキストが手に入らなかったので昨年の写真の使いまわしです(汗)。FMラジオで日本語の同時通訳を聴きながら受けるのですが、通訳の方がいつも素晴らしいです。ラジオはレンタルで7日間100ルピー(170円程度)。お手頃~♪


今年もダライ・ラマ14世のティーチングが開催された(6月6日~8日の3日間)。
ここ数年間は、毎年教室の南インドツアーの帰りにここに立ち寄り、このティーチングを受けている。なんとありがたいことか。

私個人としては、あまり深く宗教について学んだことは無い。でも、私が尊敬するグルジやスワミジ、著名な指導者たちは、皆どの宗教でもお互いを尊重し、愛と思いやりを持つように教えている。だから、宗教は怖いものとか、人をコントロールするものではなくて、人の道徳心や、愛と思いやりを育むためのものだと信じている。異なる宗教間の合意できない意見についても、違う考え方があるからこそ、世の中の多様性が様々な面白さや美しさを生み出すのだと、私のグルジ(師匠)は教えてくれた。だから、私は宗教に関してオープンマインドだし、特にダライ・ラマ法王のように多くの人から尊敬され、愛されている人から話が聞けるのはとても光栄なことだと思う。

今年も、ご自身の足でしっかりと歩かれて、お寺の階段を上り、壇上の席に着かれた。
チベット人、西洋人、日本人、中国人、韓国人、ベトナム人、タイの出家者の方々など、沢山の人たちに見守られ、拝まれて、彼自身もとてもにこやかにそれにこたえておられた。

「あ~、今年も元気なお姿を拝見できて良かった~」と安堵すると共に、胸に熱いものがこみあげてきて、目頭も熱くなった。意味もなく、法王のお姿を目の当たりにする時、涙がこみあげてくるから不思議だ。

1時間ほど、精力的にお話をされると、
「あ、もう10時ですね。お茶にしますか?皆さん、お茶を配りますから飲んで下さいね。トイレ休憩も10分間とりましょう。その間質問に答えますね。」と仰った。

学生さんたちが塩の入ったミルクを配り始めた(ダクシナ(寄付されたもの)が温められて皆に配られます)。皆がそれを受け取り、飲んだりトイレに立ち上がったりした。その間も質疑応答は続き、10分どころか40分間近くに渡った。一人でも多くの人の質問に答えたいというお気持ちが伝わってきた。そして、ご自身はお茶も休憩もとっていらっしゃらないのに、

「皆さん、お茶飲みましたか?皆さん飲んでいるようには見ませんが、ちゃんと飲みましたか?」と暖かい気配りまで。

愛と思いやり、その教えを自ら実践され、自分が休憩することもお茶を飲むこともせずに、皆の事ばかり考えていらっしゃる。そんなお姿を拝見し、そのエネルギーを感じるだけで、今ここに居ることの感謝でいっぱいになった。

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