
サウンドヨガのコースが終了しサティフィケートを頂いた(3週間のダラムサラ滞在を終えての振り返りです)
サドゥーのクリシュナ・ババジとの出会いは、今回の旅に大きなインパクトを与えた。
今までのどのヨーガ指導者とも違ったババジ、インドでヨーガを学ぼうと思った時、一般的なヨガの資格を取った先生、アシュラムのスワミジ、そしてババジのようなサドゥーから学ぶという様々な選択肢があるということを今回再認識した。スワミジとババジとの違い、それは、ババジのおっしゃるには、ババジは大抵、スワミジよりも多様な人生経験を積んでいるから(ちょっと茶目っ気のある感じで仰った)、テキストから学ぶこと以上のヨーガの学び方ができるのだと仰った。それはそうかもしれないと思った。実際私自身、アシュラムでヨーガを学んだあと、本当に深く広く、様々な「ヴェーダ」の価値観や考え、その生き方、アーユルヴェーダも含めて包括的な学びへと理解を深められたのは、アーユルヴェーダドクターであるグルジ(師匠)の元でグルクラを体験してからだったと思う。(グルクラとはインド古来の学び方で、師と弟子が寝起きを共にしながらヴェーダ聖典の教えを日々の生活を通して包括的に学ぶ学び方のことを言う)グルクラの間、グルジと本当にたくさんの話をして、ヨーガやアーユルヴェーダへの理解を何段階も深められたと思う。きっとババジからヨーガを学んでいたら、それに近いものがあったのかもしれないと思った。プライベート感、というのが与える影響は大きいと思う。ババジは数人の生徒に自分の時間の全てを与え、一緒に料理をしたり雑談をしたり、自分の全てを生徒に開放している。それはとても贅沢な、包括的な学びとなることだろう。もちろん、スワミジからヨーガを学ぶことも素晴らしい。スワミジからしか学べないこともあるだろうから。
元々ババジはスワミだったこともあったらしい。若いころはウッタラカシのシヴァナンダヨガアシュラムにおられて、なんと、シヴァナンダヨガを西洋に広められたヴィシュヌ・デヴァ―ナンダ師やヴェーダーンタ哲学の第一人者であられたスワミ・ダヤ―ナンダ・サラスワティ先生とも時間を共にしていらしたとか(アシュラムでは、定期的にサドゥーに食事をふるまったりするのです)。その後サドゥーからスワミジになられて、そして、今はまたサドゥー、クリシュナ・ババジとしての人生を歩んでおられる。
なんと、全てはつながっていた・・・。私の人生に影響を与えて下さる方々が、皆どこかでつながっている。全てが必然的に起こっているようにさえ思えた。
別れを告げる時、ババジは寂しそうだった。
「また来年来ます」と告げると、私の手に白い石を乗せて
「これを持っていきなさい」と仰った。
「クリシュナストーンですか?!」と驚いて尋ねると、それをヨーガの修練の時に、削った粉をサードアイにつけて行いなさい、と仰った。
それは自然から掘り起こしたそのままの原石のようだった。こういうものは簡単には手に入らない。数年前、グルジの元で厳しいサーダナを終えて帰国する際に、グルジが亡きグルジから授かったクリシュナストーンを形見分けして下さったことがあった。その時にもとても身に余るものを頂いた気がしたが、またここで同じ石を頂けるとは夢にも思わなかった。
ババジの名前はクリシュナ、ババジにとってクリシュナストーンは彼そのもの。ありがたくいただき、日本でもヨーガの修練を積み重ねると誓った。(続く)


ババジのアシュラムにて、ヨガコースの生徒と共に。
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