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※これはインドのダラムサラに3週間滞在した、最終日の日記です。

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ダラムコットの朝日と夕日は素晴らしい。山々の奥には万年雪を頂く4000m級の山もある。ここから歩くと3日間ほどで往復できる

(6月11日の日記より)
今回二つ目の宿に入る時、宿が見つからない、違う場所に連れていかれる、チェックイン時に部屋が掃除されていない、Wifiや朝食のサービスの提供がされない、脅迫めいたメールを受け取る、など、散々な目にあったが、それ以上に素晴らしいことがたくさんあって、最終日の朝はとてもすがすがしかった。

朝、部屋の窓を全て開けて、鳥の鳴き声と山からのそよ風を感じながらヨガをした。呼吸法、瞑想、マントラの詠唱、全てが喜びに満ちていた。
宿の問題ですったもんだしていた時、少し離れた隣の宿にいた親切なイタリア人男性が、「いやな思いをしてそこに居続けるよりも、部屋を変えて気分を変えた方が良いよ」と助言してくれたが、私はそうしなかった。もし嫌な思いをした場所を、嫌な思いのまま出たら、その思いはずっと残ってしまうと思ったからだ。だから、その環境でシャンティ(平穏、満ち足りた状態)になることを目指した。
そして、その朝はとてもシャンティで、その部屋も、環境も、自分自身も全てに満足できていた。だから、いやな気持を残してここを去ることは無い。とても嬉しかった。

イタリア人男性(ご家族)のステイしていた宿のおかみさんがとても親切で、何かと私を気にかけて、部屋のオーナーの女性に私が困っていると話をしてくれたり、「うちに移ってきても良いよ」と言ってくれたり、外で会うと、「大丈夫か?何かあったらいつでも言っておいで」と気遣ってくれた。

今朝挨拶をすると、「きょう出発だね?」と言われたので、「はい、また来年来ます。今度は、きっとそちらに泊まります(^^)」と言うと、「いつでも電話しておいで」と笑顔で答えてくれた。彼女以外にも、ババジもマヒンダも、みんなが次回は良い部屋を見つけてあげるから自分に言いなさい、と言ってくれた。宿が見つからずに探し回っている時にも、何人かの人に助けられた。彼らの携帯で連絡先に電話してくれたり(つながらなかったが)、いろんなアドバイスをくれたり、人の暖かさをいつも感じていた。本当に、みんなが優しい。。。

きっと嫌なことは、普通の事やちょっと良いことを、すごく良いことに思わせてくれえるエッセンスかもしれない。健康と不健康もしかり、不健康を経験するからこそ、健康の喜びやありがたみを感じる。不健康が無いと、人は健康の価値を忘れてしまうから。だから、不健康にもちゃんと意味がある。

そんな風に考えると、人生無意味なことなど何もないと思える。
毎日が喜びや学びで満ちていて、その中で、シャンティな自分を感じる、あらゆる存在の中にシャンティを見出す。それが、幸せの鍵だと思った。

今晩夜行バスでデリーに向かう。ホテルに一泊してから夜のフライトで日本へ。
6週間前とはかなり違う自分になったような気がする(実際、肌は真っ黒(笑))。帰国の途もシャンティであり続けたい。


☆ババジによるチャクラヒーリング体験等の記事はこちら
☆神戸のアーラティー教室の月間ヨガスケジュールはこちら 和代は15日夜のフローヨガからクラスに復帰します。皆様どうぞお越し下さい(^^)。


cooltalkcafe
追記:忌まわしい宿の問題はこのカフェから始まったが、最終日に、普段は控えているラテを飲みに立ち寄ってみると、なんと「LOVE」とハートで書かれたラテアートが♡。一気にあったかい気持ちになって、全ての苦労やストレスが報われた気がした。(ちなみにコーヒーはカルダモンを入れるとカフェインが中和されるのでお勧めです♪)

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サウンドヨガのコースが終了しサティフィケートを頂いた(3週間のダラムサラ滞在を終えての振り返りです)

サドゥーのクリシュナ・ババジとの出会いは、今回の旅に大きなインパクトを与えた。
今までのどのヨーガ指導者とも違ったババジ、インドでヨーガを学ぼうと思った時、一般的なヨガの資格を取った先生、アシュラムのスワミジ、そしてババジのようなサドゥーから学ぶという様々な選択肢があるということを今回再認識した。スワミジとババジとの違い、それは、ババジのおっしゃるには、ババジは大抵、スワミジよりも多様な人生経験を積んでいるから(ちょっと茶目っ気のある感じで仰った)、テキストから学ぶこと以上のヨーガの学び方ができるのだと仰った。それはそうかもしれないと思った。実際私自身、アシュラムでヨーガを学んだあと、本当に深く広く、様々な「ヴェーダ」の価値観や考え、その生き方、アーユルヴェーダも含めて包括的な学びへと理解を深められたのは、アーユルヴェーダドクターであるグルジ(師匠)の元でグルクラを体験してからだったと思う。(グルクラとはインド古来の学び方で、師と弟子が寝起きを共にしながらヴェーダ聖典の教えを日々の生活を通して包括的に学ぶ学び方のことを言う)グルクラの間、グルジと本当にたくさんの話をして、ヨーガやアーユルヴェーダへの理解を何段階も深められたと思う。きっとババジからヨーガを学んでいたら、それに近いものがあったのかもしれないと思った。プライベート感、というのが与える影響は大きいと思う。ババジは数人の生徒に自分の時間の全てを与え、一緒に料理をしたり雑談をしたり、自分の全てを生徒に開放している。それはとても贅沢な、包括的な学びとなることだろう。もちろん、スワミジからヨーガを学ぶことも素晴らしい。スワミジからしか学べないこともあるだろうから。

元々ババジはスワミだったこともあったらしい。若いころはウッタラカシのシヴァナンダヨガアシュラムにおられて、なんと、シヴァナンダヨガを西洋に広められたヴィシュヌ・デヴァ―ナンダ師やヴェーダーンタ哲学の第一人者であられたスワミ・ダヤ―ナンダ・サラスワティ先生とも時間を共にしていらしたとか(アシュラムでは、定期的にサドゥーに食事をふるまったりするのです)。その後サドゥーからスワミジになられて、そして、今はまたサドゥー、クリシュナ・ババジとしての人生を歩んでおられる。

なんと、全てはつながっていた・・・。私の人生に影響を与えて下さる方々が、皆どこかでつながっている。全てが必然的に起こっているようにさえ思えた。


別れを告げる時、ババジは寂しそうだった。

「また来年来ます」と告げると、私の手に白い石を乗せて
「これを持っていきなさい」と仰った。

「クリシュナストーンですか?!」と驚いて尋ねると、それをヨーガの修練の時に、削った粉をサードアイにつけて行いなさい、と仰った。

それは自然から掘り起こしたそのままの原石のようだった。こういうものは簡単には手に入らない。数年前、グルジの元で厳しいサーダナを終えて帰国する際に、グルジが亡きグルジから授かったクリシュナストーンを形見分けして下さったことがあった。その時にもとても身に余るものを頂いた気がしたが、またここで同じ石を頂けるとは夢にも思わなかった。

ババジの名前はクリシュナ、ババジにとってクリシュナストーンは彼そのもの。ありがたくいただき、日本でもヨーガの修練を積み重ねると誓った。(続く)


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ババジのアシュラムにて、ヨガコースの生徒と共に。

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