※和代は、ヒマラヤのダラムサラ(チベット仏教の聖地)を昨晩出発し、今朝首都デリーに到着しました。日本まであと少し!

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チベット人女性の正装は美しい           タイのお坊さん、黄昏る。。。

(611日の日記より)

今晩ダラムサラを出発する。3週間の滞在の中で、やろうとしていたプロジェクトワークはほとんどできなかった。それよりも、出会いやハプニングから学ぶことがとても多くて、自己を内観する時間がずっと続いた。そしてこの旅は、過去最高のスピリチュアルな学びの旅となった。

ダライ・ラマ法王のティーチングは胸に響くことがたくさんあって、ヨーガで学んで分かっていることでも、改めて別の角度から法王のお言葉で教えを頂くことによって気付くことが多々あった。これについては8月に始まる「究極のアーユルヴェーダ&ヨーガ講座」でも皆さんとシェアできると思う。最終日の後半で、チベット仏教を学ぶたくさんの生徒さんやタイのお坊さん、世界各国から集まった人たちと共に、マントラを唱えて瞑想をして、愛と思いやりの心を持って生きていくことを誓った時、何千人ものエネルギーが一つになる素晴らしい経験をした。これはその場にいないと分からない感覚だ。サットヴァでシャンティで、至福の時間だった。このティーチングは、宗教云々だけではなく、全ての人にとって、生きる上で大切なことを学ばせていただける機会だと思う。

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ダライ・ラマ寺院の講堂への道。ティーチングの当日ダライ・ラマ法王がここを通って入ってこられる。その両脇には御座が敷き詰められてたくさんの人が座る(前日は設営準備中の学生さんなどが集まっていた)。柵のすぐ内側の最前列は法王の握手やアイコンタクトが得られる可能性があるので、朝早くから争奪戦だ。

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法王が講義をされる部屋のすぐ外(二階)には、各国からのグループが国別に座る。正面のモニターのすぐ手前辺りがJAPANだった。そして、横の部屋の前にはたくさんのダクシナ(寄付)が積み上げられていて、当日料理されて参加者にふるまわれる。朝のチベットスタイルのミルクとパン、終わった後のベジミールが皆に配られた


毎年マッサージやヒーリングなどのセラピーをしてくれているマヒンダには、今回10回くらいトリートメントをしてもらった。その中で、私の多少慢性化している関節の痛みとチャクラの問題とのつながり、自分自身の過去の経験等を深く見つめなおすことができた。自分の選択の範疇に無いことでも、自分自身に起こっていることは全て自分のまいた種だとヨーガでは言う。自分は自分自身のたった一人の主(あるじ)だから、体も心もスピリットも、そのコンディションに責任を持つのは自分自身なのだ。その受け入れは、自然治癒力を高めることにもつながっていると思う。心と体が不調和なら治癒力は高まらないからだ。

マヒンダはいつも愛にあふれていて、トリートメントだけでなく、心身を健やかにして生きるための様々な話をしてくれる。そしてたっぷりの愛を与えてくれる。彼に出会って人生が変わった人が少なくないことは容易に想像できる。今年もたくさん癒して頂き、また日本で頑張る力を得た。素晴らしい師であり友であることを嬉しく思う。(続く)

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今年はティーチングのテキストが手に入らなかったので昨年の写真の使いまわしです(汗)。FMラジオで日本語の同時通訳を聴きながら受けるのですが、通訳の方がいつも素晴らしいです。ラジオはレンタルで7日間100ルピー(170円程度)。お手頃~♪


今年もダライ・ラマ14世のティーチングが開催された(6月6日~8日の3日間)。
ここ数年間は、毎年教室の南インドツアーの帰りにここに立ち寄り、このティーチングを受けている。なんとありがたいことか。

私個人としては、あまり深く宗教について学んだことは無い。でも、私が尊敬するグルジやスワミジ、著名な指導者たちは、皆どの宗教でもお互いを尊重し、愛と思いやりを持つように教えている。だから、宗教は怖いものとか、人をコントロールするものではなくて、人の道徳心や、愛と思いやりを育むためのものだと信じている。異なる宗教間の合意できない意見についても、違う考え方があるからこそ、世の中の多様性が様々な面白さや美しさを生み出すのだと、私のグルジ(師匠)は教えてくれた。だから、私は宗教に関してオープンマインドだし、特にダライ・ラマ法王のように多くの人から尊敬され、愛されている人から話が聞けるのはとても光栄なことだと思う。

今年も、ご自身の足でしっかりと歩かれて、お寺の階段を上り、壇上の席に着かれた。
チベット人、西洋人、日本人、中国人、韓国人、ベトナム人、タイの出家者の方々など、沢山の人たちに見守られ、拝まれて、彼自身もとてもにこやかにそれにこたえておられた。

「あ~、今年も元気なお姿を拝見できて良かった~」と安堵すると共に、胸に熱いものがこみあげてきて、目頭も熱くなった。意味もなく、法王のお姿を目の当たりにする時、涙がこみあげてくるから不思議だ。

1時間ほど、精力的にお話をされると、
「あ、もう10時ですね。お茶にしますか?皆さん、お茶を配りますから飲んで下さいね。トイレ休憩も10分間とりましょう。その間質問に答えますね。」と仰った。

学生さんたちが塩の入ったミルクを配り始めた(ダクシナ(寄付されたもの)が温められて皆に配られます)。皆がそれを受け取り、飲んだりトイレに立ち上がったりした。その間も質疑応答は続き、10分どころか40分間近くに渡った。一人でも多くの人の質問に答えたいというお気持ちが伝わってきた。そして、ご自身はお茶も休憩もとっていらっしゃらないのに、

「皆さん、お茶飲みましたか?皆さん飲んでいるようには見ませんが、ちゃんと飲みましたか?」と暖かい気配りまで。

愛と思いやり、その教えを自ら実践され、自分が休憩することもお茶を飲むこともせずに、皆の事ばかり考えていらっしゃる。そんなお姿を拝見し、そのエネルギーを感じるだけで、今ここに居ることの感謝でいっぱいになった。

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カフェの二階から通りすがりのチベット僧をパチリ

2005年からほぼ毎年インドを訪れるようになって早14年、インドで経験してきた数多くのハードな体験の中でも、これは1,2を争うほど常軌を逸したものでした。あまりネガティブな話は書きたくありませんが、ネガティブな中にも学ぶべきことがある、というコンセプトであえて記事を書こうと思います。(長いです)。


その日は次の宿に移動する日だった。ある程度快適なホテルをあえて出るには理由がある。どんなに快適と予想する場所でも、実際に泊まってみると、騒音や汚染物質、隣人のパーティー騒ぎなどで、全然寝れないとか、とても不快だ、と思うことがよくある(インドの場合)。なので、日本で宿をとる時、あえて二か所に分けたのだ。どちらの場所も毎年泊まるエリアで環境はよく分かっていた。先に泊まった中級のホテルで大きな問題はなし、次の場所は立地は分かっていたので、あとは部屋の状況次第だと思っていた。こちらはどうやら個人が部屋貸しをしているらしく、あるオンライン予約サイトを通して日本で予約していった。

移動の日の前の週に、すでに下見をして、ここでだろうと思う宿を見つけた。玄関の掃除をしている女性に確認したところ、どうやらそこらしいと思った。そして移動の前日、チェックインの時間を確認しておこうと再度訪問し訊ねてみると、なんと、そこは全く関係のない宿だった。さあ、大変。明日は移動日で、すでに夕方だった。信頼できる予約サイトを通して予約したが、はっきりとした住所の記載はなく、情報は「Cool Talk Café」の裏側、ということだけだった。小さな集落なので、片っ端から周りのゲストハウスを当たったが、どこに訪ねてもそのような宿は聞いたことが無いという。。。狐につままれたような感じとはこのことか、と思った。

少々焦りながら、Wifiのあるカフェに入り、宿に直接メールをした。場所を聞いてもきっと見つけられないだろうと思い、その「Cool Talk Café」まで誰かを向かえに送って欲しいと伝えた。すると、女性を送るが彼女は中に入れないとか、その辺で待ってくれとかあやふやな答えだったので、当日会えない不安を残したくなかったので、確実にカフェの中で私を見つけるようにお願いした。

そして約束の12:00になったが、いっこうに迎えは現れない。カフェは満席で入れず、昨日そこにWifiはあると担当者から聞いていたが、実際には無かった。
「本当に宿に辿り着けるのか?」というか、そもそもその宿は存在するのか?という不安を感じながら、30分ほど待ってから、大きな荷物をカフェの近くの宿に預かってもらい、いつもPCワークをしに行くWifiのあるカフェまで行った。
直ぐに連絡をすると、そのカフェで待つようにと言われた。
しかし、1時間待っても誰も来ない。そのうちようやく、その辺をふらついていた男性が私の迎えだと分かり、向こうは私を男性だと思っていて、私は「女性をよこす」と言われていたから、女性が来るものだと思っていたので、ずっとお互いに認識しあうことなく待ち続けていたのだ。

普通ならこの辺でストーリーは終わりそうなものだが、話はここからだ。(続きを読むへ)
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※2018年4月末から6月13日まで和代はインドに滞在しています。教室のアーユルヴェーダ研修旅行終了後、現在、ヒマラヤのダラムサラ(チベット仏教の聖地)に来ています。

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山道を歩いていると美しい牛がやってきて、駆け寄ってきたと思ったら、急に止まって首をかしげながらうっとり(目をつぶってるんです)。牛はとてもイノセントな動物だから食べてはいけない、とグルジ(師匠)に言われたことがある。インドでたくさんの牛を見ていると本当にそう思う


ダラムサラに来てすぐにババジと出会った。ババジには、私が一般的なヨガガールだとは見えなかったようで、初めから他の旅人とは少し違う扱いだった。座っている時の心身の持ち方、そこにいる時のエネルギー、匂い、、など。遠い記憶のかなたに、何か感じたらしい。きっと私も元は修行者、日本にいてもいつも「修行場」に惹かれて足が向いている。その昔ババジにも修業をして頂いた経験があるのかもしれないな、と思った。

ババジはヨーガの様々な技法や理論を指導すると共に、シンギングボウルやレイキなどのヒーリングもされていた。ババジから初めてシンギングボウルのセッションを受けた時、どこかふか~いところに落ちた感じがした。ジェントルなバイブレーションが、肉体、心、魂に至るまで様々なレベルで浸透していって、5元素全部が整ったような、いらないものが全て抜けていったような感覚を覚えた。
そして、私はババジから、その技法を学ぶことになる。

インドはいつも、スペシャルな出会いや学びのチャンスをもたらしてくる。だから、いつもオープンマインドでいないといけない。

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お猿が部屋のテラスにやってきて、中に入ろうとしているけど、ガラスが邪魔して入れない。。あっちにもこっちにも、猿やら牛やら犬やら馬やら、ダラムサラはアニマル天国です。


※2018年4月末から6月13日まで和代はインドに滞在しています。教室のアーユルヴェーダ研修旅行終了後、現在、ヒマラヤのダラムサラ(チベット仏教の聖地)に来ています。

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包丁で硬いココナッツを割って見せてくれるババジ


インドに毎年訪れるようになってから14年、今回初めてサドゥーに出会った。サドゥーとは、放浪する修行者(ヨーガ実践者)、苦行僧、仙人などと言われ、インドやネパールに400~500万人いるとされている。

サドゥーのことをババと言い、私の出会ったサドゥーはババジ(ジは敬称)と呼ばれていた。
14歳の時にサドゥーになるための苦行に入り、それから12年間、禁欲の元厳しい修行を積み、ヨーガの秘伝の奥儀を身に付けた。人間離れした感覚や身体能力、肉体、心、魂のレベルで一定の悟りを得た。しかし、悟りのレベルというのは幾つもあって、魂が肉体から離れるその瞬間まで悟りのプロセスは続いていく。一時はスワミ(僧)だったこともあるが、今はサドゥーとして身に付けたヨーガの奥儀を様々な人に伝えているそうだ。ちなみにサドゥーと一言で言っても、正統派のサドゥー家系のようなものは4つくらいしかなく、ババジはその正統派の出身なのだとか。奥が深い・・・。

サドゥーにとって、ヨーガとは、アーサナ(ポーズ)を意味するのではなく、本来は「バクティ(親愛や大きな存在との関りについて知ろうとする行為や姿勢)」なのだという。シヴァナンダヨガアシュラムでも、ヨーガの4つの道(カルマヨーガ、バクティヨーガ、ラージャヨーガ、ニャーナヨーガ)の4つを学び実践する。以前私のグルジ(アーユルヴェーダドクター)も、私のサーダナ(修行)中に、ヨーガの道はそもそもバクティが大事で、バクティさえあれば他のヨーガはいらないと言えるほどバクティは大事だ仰っていた。確かに、バクティがあれば、世界は平和で戦争など起こりえないだろう。皆が先生や神様のためにせっせと拝んだり懇親の行為を行い、自身のエゴをドロップして、他の幸せを願って、他の役に立つことを喜びとして、自己の精神的な成長を目指して生きていく。愛と思いやりに満ちた世界。。。

いろんな出会いを通して、ヨーガへの理解や見方が深まっていく。
ヨーガは一人生にしてならず、、、本当にそんな感じなのだ。(続く)

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